
深い深い眠りの底で、ココハはまだ夢の断片を繋ぎ合わせていた。
視界を埋め尽くすのは、あの日、アパホテルの一室で途絶えてしまったはずの「続き」の景色。
真っ白なホリゾントが広がる撮影スタジオ。強力なライトが熱を持ち、微かに髪を焼くような匂いと、甘いヘアスプレーの香りが混ざり合う。
そこには、お揃いの真っ赤なダッフルコートを羽織った自分とメアリが立っていた。
「ココハ、もっとこっち寄ってよ。離れてると仲悪いみたいに見えるじゃん。『めあここはビジネス』って言われちゃうよ」
メアリがいつもの調子で、小首を傾げて笑う。
その細い肩が触れるたび、夢の中のココハは、それが現実ではないとどこかで気づきながらも、その温もりに縋りつこうと必死だった。
カメラマンのシャッター音が、心臓の鼓動と重なって響く。フラッシュの閃光が、次第に部屋の窓から差し込む朝日の白さに溶けていった。
(ん?温かい)
頬を撫でる、柔らかな感触。 それは、自分の流した涙で湿ったシーツの冷たさとは明らかに違う、確かな「生」の熱だった。
ココハは、重たいまぶたをゆっくりと、慎重に押し上げた。
もしこれが夢の続きなら、目を開けた瞬間、またあの静寂が戻ってきてしまうのではないか。そんな恐怖が指先を強張らせる。
視界に飛び込んできたのは、朝日に照らされて薄桃色に透ける、見慣れた天蓋のレースだった。
そして、そのすぐ目の前に。 水晶のように澄んだ瞳が二つ、じっと自分を見つめていた。
「おはよう、ココハ」
その声は、二ヶ月間、ココハの脳裏で再生され続けてきた記憶の声よりも、ずっと艶やかで、わずかに掠れていた。
心臓が肋骨を突き破らんばかりに跳ね上がる。
ココハは息をすることさえ忘れ、ただ呆然と目の前の少女を凝視した。
止まっていた時計の鼓動
「夢? ううん、夢じゃないよね?」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。
ココハは確かめるように、ベッドの中でメアリの細い手首を掴んだ。骨の感触がわかるほど華奢な、けれどしっかりと脈打つその手。
メアリは拒むことなく、逆に指を絡めるようにしてココハの手をぎゅっと握り返した。
「ひどいよ。ひどいよ、メアリ」
一度言葉が漏れ出すと、堰を切ったように感情が溢れ出した。
「勝手に宣言して、勝手に眠って。あたしが起こしても、叫んでも、あんた全然起きないんだもん。埼玉から石川まで来るの、どれだけ大変だと思ってるの? あたしが一人で、どんな顔してカメラの前に立ってたか、あんたには一生わかんないっ!」
罵倒するような言葉とは裏腹に、ココハの目からは大粒の涙が再び溢れ、メアリの胸元を濡らした。
この二ヶ月間、誰にも見せられなかったココハの脆弱な部分が、メアリという器を得て、一気に決壊していく。
メアリは何も言わず、ただただココハの震える背中を優しく撫で続けた。
その手のひらの温かさが、ココハの凍てついた心を少しずつ溶かしていく。
「聞こえてたよ、ココハの声」
メアリが静かに囁く。
「暗い、深い水の底にいるみたいだった。でもね、ずっとココハが呼んでくれる声が、光の糸みたいに上から垂れ下がってたの。それを掴んで、メアリ、必死に登ってきたんだよ」
メアリは少しだけ身を起こすと、ココハの涙を親指で丁寧に拭った。
「それに。キスの魔法も・・・ちゃんと効いたみたい。ふふふ」
悪戯っぽく、いつもの小悪魔的な微笑を浮かべるメアリ。
ココハは顔を真っ赤にし、バッと視線を逸らした。
「見てたん? 意識あったの?」
「見てないよ、目閉じてたもん。でも、感触はわかった。ココハ、あんなに何度もするなんて、もしかしてメアリに依存しすぎじゃない?」
「うっ・・・うるさいっ! あれは・・・生存確認よ、そう生存確認!」
聖夜の再生
ココハは必死にツンとした表情を作ろうとしたが、緩みきった頬までは制御できなかった。
――メアリが還ってきた。
その事実だけで、部屋を支配していた冴え冴えとした空気は消え去り、そこにはただの女の子二人の親密な空間が戻っていた。
「メアリ、還ってきたなら、さっさと準備して。あんたが寝てる間に、季節は冬になったし、流行りのメイクも服も、全部アップデートされてるんだから」
ココハは、一緒に寝ていたベッドから先に這い出すと、床に落ちていたカーディガンを拾い上げ、乱れた三つ編みを解き始めた。
「私が全部、あんたに叩き込んであげる。ニコラの撮影に戻ったとき、あんたが時代遅れなんて言われないように、ね?」
メアリはベッドの上に座り直し、自分の白い手を見つめてから、晴れやかな顔でココハを見上げた。
「ふふ、お手柔らかにお願いします、ココハ先生。・・・ねえ、ココハ」
「何?」
「メリークリスマス。一番に隣にいてくれて、ありがとう」
窓の外では、雪を被った街が朝日に輝き、ダイヤモンドダストが宙を舞っている。
二カ月の空白は、決して短いものではなかった。けれど、再び繋がった二人の手は、以前よりもずっと強く、深く結ばれていた。
ココハは、少し照れ臭そうに、けれど最高に誇らしげな笑顔で答えた。
「メリークリスマス、メアリ。……さあ、最高のクリスマスにするよ。二人っきりの」
二人の笑い声が、冬の澄んだ空気に溶けていく。
それは、止まっていた「めあここ」の時間が、再び眩い光の中で動き出した瞬間だった。
(完)
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