- ふりがな
- いいとよ まりえ
- 生年月日
- 1998年1月5日
- 出身
- 千葉県
- 所属事務所
- エイベックス
- ニコモになった経緯
- 2011年度ニコプチ進級
- 加入学年
- 中2
- 加入時身長
- 166cm
- 初登場
- 2011年6月号
- 初表紙
- 2012年7月号
- 卒業
- 2014年5月号
- 最終的な表紙回数
- 12回
- 特記事項
- 2008年実施「サンシャイン30周年記念 エイベックス×ニコプチ 公開モデルオーディション」でグランプリを受賞。2009年4月号よりニコプチ専属モデル
- 飯豊に関して、一部では「キラチャレ出身」とされることもあるが(過去、キラチャレの募集広告にすら飯豊を「出身者」として宣伝に用いていた)、上記の通り、飯豊は公開オーデ出身
- 2008年当時は、公開オーデと並行して、もちろん本家キラチャレも実施されており、合格者も別にいるが、同年のキラチャレは、ニコプチが協賛しなかったため、ニコプチ賞もなく、プチモになった合格者もいない
- よって、ニコプチとエイベックスが合同で主催した公開オーデ合格者である飯豊がそのままプチモになっただけのこと
- 要は、エイベックスとして、キラチャレ合格者でも、合同オーデ合格者でも、好きな方をプチモに押し込めるということで、だったら、たまたま合同オーデという、よりニコプチ色の強い方を優先したに過ぎない
- 以上より、キラチャレと公開オーデは全くの別モノであるのは明白であり、飯豊とキラチャレとは一切関係ない
- 同様のキラチャレ詐欺としては、生見愛瑠のケースもあげられる。これまた「キラチャレ出身」と大々的に喧伝されることもある生見であるが、その実、地方予選落ち(2011年の中部地区予選)に過ぎない
- とはいえ、現に生見が受けたことは事実であり、キラチャレ出身といえば出身。実際にはキラチャレに応募すらしていない飯豊よりはよっぽどましともいえる
- デビュー以来、本名である「飯豊万理江」表記であったが、ニコプチ2011年4月号より、下の名前を平仮名にした「飯豊まりえ」に改名、現在に至る
- 2011年6月号でニコプチを卒業。毎年、プチモ卒業生のトップ1人が、姉妹誌ニコラに移籍できる「進級枠」により、同年6月号よりニコラ専属モデル
- ニコプチ進級は、2008年の伊藤夏帆以来、今回の飯豊で4年連続4人目
- ただし、通常の進級は、6月号でプチを卒業し、ニコラへは7月号から加入となるところ、間髪を容れず、直通の6月号加入というのは異例の速さ。実際、2018年現在の進級例は10件あるものの、「6月号⇒6月号」パターンは飯豊のみ
- ちなみに、なぜ異例の6月号加入となったかといえば、それは飯豊をハワイロケに参加させるため。例年、ニコラのハワイロケは、開放日イベント終了直後の春休み中、3月下旬から4月の頭にかけて、4泊6日のスケジュールで実施される
- この点につき、7月号のハワイロケが、その1号前の6月号の撮影時期と被る、もしくは早くなるという逆転現象が起こってしまう
- となれば、ハワイから帰国後の撮影でも、ギリギリ6月号の撮影に間に合うため、だったらあえて7月号のハワイ以外の撮影が始まるまで、飯豊を無駄に待たせておくより、さっそく6月号の撮影にも参加してもらおう。つまりは使えるものは使うということである
- なお、デビューがハワイロケという超エリートコースは、飯豊ふくめ、2006年の高屋敷彩乃と、2018年の町田恵里那の3人だけである
- ポンポネットイメージモデル
- 表紙回数12回は歴代9位
- 2014年5月でニコラを卒業。その後、同年9月号よりセブンティーン専属モデル。なお、ニコプチ⇒ニコラ⇒セブンティーンと進むコースは、飯豊が最初。その後、翌2015年に黒崎レイナが、2016年に永野芽郁が続くことになる
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