- ふりがな
- ながの めい
- 生年月日
- 1999年9月24日
- 出身
- 東京都
- 所属事務所
- スターダスト
- ニコモになった経緯
- 2013年度ニコプチ進級
- 加入学年
- 中2
- 加入時身長
- 161cm
- 初登場
- 2013年7月号
- 初表紙
- 2015年4月号
- 卒業
- 2016年5月号
- 最終的な表紙回数
- 7回
- 特記事項
- 小3の時、吉祥寺にて、スターダストのスタッフからスカウトされたことをきっかけに同事務所に所属、芸能デビューする
- はじめてのお仕事は、2009年公開の映画「ハード・リベンジ、ミリー ブラッディバトル」に子役として出演したこと
- 2010年、所属事務を通じて編集部に出向き面接を受ける「顔見せ」により、ニコプチ専属モデル。プチモデビューは2010年10月号
- プロ意識が高い勉強家。男前の性格で、常にサバサバ。後輩の面倒見もよく、姉御肌。ニコプチ、ニコラ、セブンティーン、いずれの編集部スタッフからの信頼も厚い
- 超の付くほどの負けず嫌い。ニコプチ時代は、どんなに体調が悪くても、「自分の出番が他のコに取られるのが嫌!」と、無理を押して撮影に参加。結果、周囲に迷惑をかけることも
- これまでで最も命の危険を感じたのは、幼少のころ家族旅行で行ったタイでのアクシデント。かなりの高さのある階段から、足を踏み外し、後ろ向きに転落したところ、たまたま下にいた見知らぬタイ人の男性が奇跡的にキャッチ。一命をとりとめる
- 中学時代、廊下に立たされたことは6回も。たとえば授業中、イキナリ歌を歌いたくなって大声で歌ったところ、先生に即、つまみ出された。真面目に授業を受けている他の生徒にとっては迷惑な話。意外とかなりの悪ガキ、と言うかむしろ サイコパス
- 名前について、よく「めいく」と読み間違えられるが、正しくは「く」の入らない「めい」
- 2013年6月号でニコプチを卒業。毎年、プチモ卒業生のトップ級1人が、姉妹誌ニコラに移籍できる「進級枠」により、同年6月号よりニコラ専属モデル
- ニコプチ進級は、2008年の初代伊藤夏帆に続き、今回の永野で6年連続6人目
- 永野の進級に付き、2013年7月号の表紙には「ニコプチのトップモがニコラへ仲間入り!」とある。しかし、同年卒業のプチモの序列としては、明らかに阿部紗英が1位で、永野は離れた2位。にもかかわらず、永野が進級となったのは、阿部が直前に事務所を辞めたことや、永野が大手スターダスト所属であることなど諸々のオトナの事情による繰り上げ当選に過ぎない。ということで、この「トップモ」との誇張した表現には大いに疑問が残る
- 1コ下の鈴木美羽とユニット「なが☆すず」を結成。その後、2014年9月号にて、久間田淋加と大谷凜香のユニット「Wりん」と合併し、新たに4人で「RMRM」となる
- 2015年度レピピアルマリオイメージモデル。最終学年において、部長や副部長にはなれなかったものの、みごとイメモの座を獲得する
- 2016年5月号をもってニコラを卒業。最終的な表紙回数は7回(うちピン1回)、ニコモであった期間は2年11ヶ月
- 誤った認識
- 巷では、最近の永野の活躍の影響からか、小学生モデル時代からすごかった、中学生モデル時代はもっとすごかった、といったデマが飛び交っています
- そもそも永野のニコプチ時代(小5から中2)は、上述した通り序列2番手だったし、ニコラ時代(中2から高1)は、最高学年時に「ニコラ部長」はおろか、「副部長」にすらも任命されなかった点、当時の読者の誰がどう見ても、高嶋芙佳(部長)、中村里帆(副部)に次ぐ、明らかな3番手であったといえます
- よって、2019年現在、セブンティーンでの立ち位置がどうかはともかく、少なくともニコプチ時代(小学生)、ニコラ時代(中学生)通じて、永野がトップモデルの座にあったことは1度もなかったのです
- 誤った認識2
- よく永野に対し、「ニコラでの同期は誰か?」について言及されることがあります
- しかし、そもそも永野がニコラに加入した経緯は、姉妹誌である小学生雑誌「ニコプチ」からの、単独での進級制度(トップモデルが移籍する制度)によるものです
- よって、当然ながらニコラでの同期はいません
- なお、永野のニコプチでの同期は石井杏奈のみとなります
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